「自分自身とは・・・」と問いかけたとき、この肉体以外にあるものとして、心の存在は、誰も否定することは出来ません。
ルネ・デカルトの言った「我思う、ゆえに我ありき」です。
「思い」とは、自然に湧き上がってくる類がほとんどですが、あえて、何かのテーマについて、「思いを巡らす」=「考える」という行為の2つが主体です。
前者の「思い」の中には、自分の経験した出来事に対して、何らかの情動(エモーション)が働き、例えば、その感情が心地よいもの(快)であれば、極めてポジティブな思考が生まれますが、その感情が、不快であれば、極めてネガティブな思考が生まれます。
また、その出来事に対して、際立って、快や、不快の感情に気づかなくても、私たちには、何らかの情緒が働き、それに準じた思考が、展開されているはずです。
さらに、人の情緒は、後に、記憶という引き出しから、過去に経験した出来事を思い出しては、その時の感情状態を再生することができます。
例えば、過去に経験した出来事から、不快な感情になったことを、何かのきっかけに、その時のことを思い出しては、急に、不快な感情が芽生えるという経験は、誰にでもあります。
これが、無意識に起こる現象が、心的なトラウマです。
さらにさらに、人の場合、実際に起こっていない出来事でさえも、想像(イメージ)の中で、作り出しては、その感情状態に浸ることもできるわけです。
心配事があれば、実際に、起こっていない出来事に対して、右往左往し、感情状態を悪くすることも、多かれ少なかれ、経験させているのではないでしょうか。
「人の脳とは、イメージの世界と、実際に起こったことを区別できません」
思考と感情は、相関しては、その人の心の持ちようを決めてしまうのです。
このようなネガティブな感情状態と、ポジティブな感情状態が、トグル(2つの状態が入れ替わる)して、どちらかに振れるかにより、体の中の生理的機能に影響を及ぼしています。
悪しき感情と思考のペアリングによって、体は、どのように変化するのか。
良き感情と思考のペアリングによって、体は、どのように変化するのか。
これを証明するために、1995年、スタンフォード大学名誉教授のティラー博士とハートマス研究所(米、カリフォルニア州)の共同研究が『アメリカ心臓病学ジャーナル』に掲載されました。
1992年~1995年、胸の中心(心臓の周辺)から、直径1.5~1.8メートルの電磁場エネルギーを確認して、人の感情がDNAにどのように影響するのか、という実験を行ったのです。
その実験では、意識的に心を鎮めたり、胸の中心に意識を向けて、感情をコントロールで出来る特別なトレーニングを受けた5名の被験者により行われました。
この5名のDNAを摂取して、ビーカーに保管し、化学反応と視覚上の変化の両方から、観察できるような技法を用いました。個々の被験者は、ビーカーの中の自分のDNAには、直接触れずに、ただ意識を向けるだけの行為です。その結果、人間の感情によりDNAの形が、変わったのです。
個々の感情状態により、DNAという生命の鎖ともいわれてきた物質自体に変化が起きました。
これは、極めて画期的なことであり、見えない世界を証明する第一歩になったことは、言うまでもありません。
この事実から、私たちの健康を維持することや、病気治療の一環にも、思考と感情が、直接的に関与しているのです。
自分にとって好ましくない感情(怒り、恨み、嫉み等)に気づかないでいることは、無意識のうちに、体にダメージを与えていることになります。
逆に、自分にとって好ましい感情(感謝、喜び、感動等)に包まれることが、日常的にできれば、体に良い影響を与えることができるのです。
「それができれば、苦労はないよ」と思われるかもしれませんが、その方向に向かうことが、良いと思えば、具体的な方法はあります。
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