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執筆者の写真ホリスティックカレッジ

『病は気から』とは、悪しき思考と感情に、気づかずに、無意識でいることが根源である【by 平田ホリスティック教育財団 理事長:平田進一郎】



私たちは、一日に6万回から7万回の思考を行っていると言われています。

また、それらの思考には、必ず何らかの感情が、伴っています。

この両者(思考と感情)は、常にお互いに影響し合います。


但し、注目すべきことは、感情は、思考にも勝るということです。

ある特定の出来事を経験した時、私たちは、思考を通り超えて、直接的にハートに感じることを知っています。感動的な出来事や、悲しい出来事に出くわしたとき、いちいち思考を使ってはいません。

胸にこみ上げる思いや、胸が締め付けれれる思いは、思考を使わずに、体に反応します。


このように、極端な快・不快の感情なら認識はしやすいのですが、日常的には、ほとんどの感情は、何も感じていないと思っていませんか? 

少し、目をつぶって、どのように感じるかチェックしてみてください。


実のところ、人である以上、「何も感じていないように感じている」という情緒があるのです。

この「何も感じていないように感じている」状態にも、微細な波動が伴っています

人は、自分にとって好ましくない感情が湧きあがったとき、初めのうちは、気づいていて、何らかの反応を示しますが、その悪しき感情を抑え込み、理性的な対応をしていると、その感情ですら、気づかずに蓄積させる傾向があります。


社会生活において、多くの人は、自分の感情を抑えて、理性的な対応をする「大人の振る舞い」という術(すべ)を知っています。(中には、できない人もいますが・・・)

この状態を、ストレスとして感じている人は、多いはずです。


気の許せる相手であれば、元来は、良い思考と良い感情であれば、良い態度になり、悪い思考と悪い感情では、悪い態度になるのが、世の常です。

しかし、「大人の振る舞い」であれば、悪い感情であっても、良い態度を見せようと努力する時もあるでしょう。


そして、過去の思考と感情の繰り返しが、その人の振る舞いとなります。


特に、感情状態は、その人の体に生理学的な変化をもたらします。

やがて、同じ思考と感情は、その人の態度となり、性格を形成するのです。


前述の通り、同じ思考と感情が、日々繰り返されることに、私たちは、気づかずに、無意識でいるのではないですか? それでも日常生活に支障はありません。


例えば、一日のうち尿意を感じたとき「あっ、私はトイレに行こうとしている」、食事の初めに、「あっ、私は、ご飯から手をつけようと思っている」、知り合いに町であったとき、「あっ、私は、挨拶をしようと思っている」


このように、自分の思考に、都度、気づいている人は、皆無です。


更に言えば、「私は、この喜びを、このように感じているのだ」「私は、この怒りをこのように感じている」「この悲しみを、このように味わっているのだ」と、個々の感情に、気づいている人もほとんどいません。


時折、強烈に湧き上がる感情や、それに伴う思考については、一時的に意識しているか、又は、気づいていることはあるかもしれません。

しかし、この気づきは、一日の生活の中でも。わずか5%ほどのことです。

そして、95%の思考と感情は、無意識に行われていると言っても、過言ではありません。




なぜなら「無意識」と「気づき」は、長くは、共存できないからです。


「病は気から」の根源となるものは、日々の自分の思考と感情の95%が、無意識に生まれているのであれば、その思考と感情の良し悪しに対して、気づかずにいることです。


無意識に、悪しき感情を封じ込め、悪しき思考すら、気づかずにいることで、慢性的にも、その心の状態を蓄積させていることになります。


目の前の出来事に対して、「ストレスを感じられないこと」と、「ストレスとして感じなくなること」では、生理学的に、大きな違いがあります。


前者は、ストレスになっていることを気づかずにいる自分であり、後者は、ストレスとして、その出来事を捉えなくなったという自分に気づいていることであり、両者は、全く異なる意識状態にあるのです。


ここに、いま瞬間の状態に気づくこと、そして、心を学び、心の使い方を研鑽することの大きな意味があります。


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