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執筆者の写真ホリスティックカレッジ

「心(思考と感情)の制御(コントロール)は、観察者が決め手①」【by 平田ホリスティック教育財団 理事長:平田進一郎



 内面世界を見つめることには、自分の思考と感情の2つの側面があります。

悩みのような不快感、歓喜に満ちた感動の瞬間、感謝の気持ちも、怒りの気持ちも、全ては、内面世界で味わっています。

更に、不快感から生れた感情の下では、マイナスな思考になりがちで、人生において、悪しき影響を及ぼす可能性があります。

残念なことに、不快感という情緒的な世界を、思考という論理的な世界で、解決することは、極めて難しいと言わざるを得ません。

つまり「頭では分かっているのに、心がついていかない」という意味です。

そして、自分の感じている特定の情緒は、他人とは、決して共有することができません。

例えば、その情緒がどんなものかと、相手に話せば、「悲しい」とか、「嬉しい」という論理的な単語として、相手は、自分なりにその単語の情緒をイメージします。

つまり「私の本当の気持ちは、誰にも分らない」という意味です。

では、どうするのか?・・・・量子論でいわれる観察者が、心のコントロールの決め手です。

先ずは、思考を見つめるということにしましょう。

自分が、今何を思っているのか? 何を考えているのか? に気づくことは、思考に目を向けることであり、マインドフルネスの原点です。

その気づきに対して、名前を付けることは、ラベリングと呼ばれています。

「私は、今日の夕食は、〇〇にしたいと考えている」

この時、自分には、次のイラストのように2つの状態があることが分かります。

➊ 今日の夕食のメニューを考えている自分

❷ 今日の夕食のメニューを考えている自分に気づいた自分 です。

同じ様に、今このブログを読んでいる自分と、読んでいる自分に気づいている自分の2つを

認識できますか?

昔、このような歌詞の歌がありました。♬私バカよね~ おバカさんよね♬ ・・・・

当時は、カラオケでも良く歌われていた曲なので、誰でもご存知の細川たかしさんの「心のこり」です。

このフレーズは、まさしく2つの意識状態を表現しています。

分析すると、何かの言動を起こし、上手くいかなかった、失敗に終わったとき、ダメな自分を「私ってバカね!」と表現します。

しかし、「バカね!」と思った意識は、バカではなく、離れたところいることに気づきます。

まず初めに「思考」について、見つめるという行為は、自分の考えや、思いを客観的に、第三者の立場のように見ているということです。

この時、その中身について、評価などする必要はなく、「・・・を考えている自分」「バカなことをしてしまった自分」に気づけば、それで良いのです。

言い変えれば、「自分の思考に対して、意識的になる」という習慣です。

私たちの多くは、1日を過ごす中で、意識的に考えたり、思ったりする時間は、5%ぐらいで、95%は、無意識で思考して、生活しています。

朝起きてから、一日の終わりまでの間に、意識的にトイレに行ったり、食事をしたり、人と会話したりすることはなく、其々の言動に対して、別段気づいているようなことは、ないのではないでしょうか?

「意識的に」の意味は、自分の言動に気づいているもう一つの意識が、あるのかな、ないのかということです。

実は、この「第三の目」とも言うべき存在(?)の確立が、量子的な視野で言うところの観察者の存在に繋がっていきます。

「観察者の存在によって、事象が変わる」とは、量子力学で学ぶ、大事なところです。

この観察者の存在の有無が、私たちの人生を良き方向に導く力になっていきます。

しばし、このテーマについて、お話を進めていきますので、お付き合いください。


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